1話 夕方近く
「・・・アユム。
起きて~~~!」
耳に残るこの声は
間違いなく母親のものだった。
「・・・すーすー」
と、おれはまだ寝ていたくて、
寝たふりを決め込むのだった。
「起きなさ~い!」
「!?
・・・うぶっ」
すぐに体をはげしくゆすられ、
しょうがなく目を開ける。
畳で寝ていたせいか、背中がぎこちない・・。
「まったく、
この子はほんと寝起きがよくないんだから・・・」
と、母はため息をついて眉をひそめた。
母の名は霧原 実 (キリハラ ミノル)。
彼女はまだ仕事から帰ったばかりらしく、
スーツを着たままだった。
「親父は・・・?」
と、おれが背中をさすりながら尋ねると、
母はやわらかく笑ってこう言った。
「お父さんならもう帰ってきてるよ。
外の天気が荒れてたから、
土いじりがはかどらなかったみたい」
そしてくすくすと笑いながら
軽い足取りで部屋を出ていった。・・・まるで少女のように。
「おお~。
アユム起きたんだ?」
・・・と、母の足取りの先で、
ここからは見えないけどキッチンのほうから、
父のはきはきとした声がする。
父の名は霧原 雅人 (キリハラ マサト)。
快活で陽気なおれの親父。
ふと、
さっき母が通った足取りをたどるように、
父の足音が近づいてきた・・・。
「やあ。
おはよう」
と、彼はおれを見るなり
気の抜けた挨拶をした。
「外はまだ荒れてるの?」
と、おれが訊くと、
彼は笑って
「外に出るつもりか?」
とたずね返した。
よく見ると少し肩をすくめている。
・・・この様子だと、
外に出ないほうがいいらしい。
「外は強い風がふいてる。
雨もすごいからびしょびしょになるよ」
と、おれの考えを裏付けるように、
父はびしょ濡れになった麦わら帽子を見せた。
今日のような近代化の時代なのに、
父は農業が好きで、いつも土をいじっていた。
また、
釣りや虫取りも好きで、
おれを連れてはときおり近くの小山に出かけたりもした。
「アユム~。
にんじんの皮をむいてくれる?」
奥のキッチンから母の声がする。
「あ~。
はいはい」
・・・・と、
おれが返事をする前に父が返事をして行ってしまった。
彼が部屋を去ってしまったので、
おれは一人取り残された。
ウーーーウゥーーーー
風の音がうるさい・・・。
外の木の葉が揺れる影が、
不気味に畳をはっていた。
「・・・。」
おれは、父の言葉が信じられないわけではなかったが、
自分で外に出て天気を確かめることにした・・・。
廊下を出てキッチンを何気なく通り過ぎて玄関に来ると、
靴ではなく、サンダルをひっかけて
そおっとドアを開ける。
「げっ」
ドアを開けてまもなく、
雨粒が顔を直撃した!
風も、さっきよりひどくなっている気がする・・。
おれは急いでドアを閉めて、
ため息をついた。
(・・・外には出れないか・・・)
なにより、
外は夜中のように暗かった・・。
しょうがないので、再びもと来た廊下にもどり、
ダイニングのテーブルに着く。
キッチンでは、相変わらず父親と母親が料理に奮闘していた。
あかるくて、
まぶしい部屋の中・・・。
窓の外は暗くて、
闇がうめいている・・・ウーウーと。
ー風はまだ一向にやまない・・・ー
|